納骨の旅路  その2  夫を送って

福井到着の翌日に 同行者4名と向かったのは 曹洞宗大本山永平寺です。

 曹洞宗の本山は ほかに 横浜市鶴見に「総持寺」があります。

 

5年前、亡父の納骨で母たちと訪ねて以来の永平寺門前は、相変わらずの観光客でにぎわっています。

権力を嫌い、俗を離れ、深山幽谷の地に修行の場を求めて この地に落ち着かれた曹洞宗開祖 道元禅師様にしてみれば、混雑する土産物屋の立ち並ぶ門前は、こんなはずでは・・・・・・といったところでしょう。

 

 

目の前には なつかしい永平寺が迫ってきます。

 

 

車を、納骨者専用駐車場に停めて いよいよお寺に入りましょう。

 

苔むして古色蒼然たる参道を進むと、出入り口です。

大勢の参拝客、いや、ほとんどが観光客です。

今日は連休の中日 土曜日なので この混雑は推して知るべしですね。

 

 

受処といわれる受付で かねてから申し込んであった亡夫の納骨手続きをします。

位牌の文字などに誤りがないかなどの確認を済ませます。

ついに、ついに、亡夫が望んだ場所に辿り着いた感あり。

彼は 永平寺にて 長らく修行を重ね、さらに「役寮」(寺の執務を担う職員)として勤務していたので、浅からぬ因縁の地なのです。

修行僧の多くは、住職の資格を得るために必要な期間を修行しますが、彼の場合は 座禅が好きで、仏法を求めて、そうです、好んで この寺での修行に埋没する日々だったのです。

慕って止まない道元禅師と同じ地に眠るのが最後の願いでした。

そして、それを叶えるのが 妻の私が果たすべき最後の使命でした。

 

案内役の雲水(修行僧)に促され、目的地に向かう間、少し待つように言われた目の前が、「傘松閣」という部屋です。

格天井に描かれた絵は花鳥風月で、どれ一つも著名な絵師によるものですが、全部鑑賞すると首が疲れます。

一般の参拝客の待合にも使われる部屋です。

 

ご承知の通り、福井は北陸に位置していますが、ここは特に深山幽谷の地ということもあり、雪が多いのです。

頑丈な木組みで建物を守る雪囲いで 冬支度は万全のようです。

こうした作業は 全て雲水の手により、「作務(さむ)」と呼ばれる日常の作業自体も大切な修行とされています。

皆さん ご存知の「作務衣(さむえ)」も、僧の作業着のことなのです。

亡夫も 暇があると、庭掃除、草むしりなどに汗を流すのが常でしたっけ。

草むしりにつきあう私が、面倒そうに文句を垂れると、「草を抜くことは心のゴミを除くことだよ。」と言っていたものです。

草むしりは「無」になれるからと 彼は むしろ趣味のように楽しんでいました。

かいがいしく作業をする夫の作務衣姿が目に浮かんできます。

作務の後は 抹茶を立てて、私を労ってくれたものです。

「おつかれさん」の言葉を添えて。

 

修行僧が入山して最初に到着する場所が この山門です。

ここには鍵どころか扉も無く、道を求める者であれば 誰でも入ることができるというところです。

磨きぬかれた廊下は 大勢の人でいっぱい。

 

 

 

山門からの眺め(朱雀門)

 

 

仏殿

 

 

「身をけずり、人に尽くさん すりこぎの その味知れる人ぞとうとし」の歌で知られる大すりこぎが すりこぎ羊羹などという土産物にもなっています。

お寺の何かを建てる折に使った木だと聞きました。

すりこぎは地味で 誰からも賞賛を受けることはないのですが、しっかりと食材の味を出し、料理に貢献する役目を果たします。

我々も そのような存在になりたいものだということのようです。

 

入山して7ヶ月という長野県出身の若き修行僧Hさんの計らいにより、老齢者への気遣いから、エレベーターを利用することになりました。

なんと このエレベーター、どえらいレトロでして、日本で二番目に古いものだそうです。

中は狭くて、5名で満員。

Hさんは、我々を乗せ、扉を閉めると、それでは私は上で待っておりますと言うなり 衣を翻らせて、風のように走り去りました。

 

音も無く上に昇るエレベーター越しに、階段を上がるHさんが見えます。

着いたら 既に彼は 息も乱れずに、扉の前で待っていました。

さすが お若いな〜〜。

それに 我々に気を遣わせることもなく さすがに行き届いた案内係です。

修行とは 座禅や読経だけじゃなく、作業や他人への配慮など あらゆる場面で 人を育てるものなのだと感じます。

 

一般参拝者が立ち入れない場所を通り、足音もなく前を歩くHさんに従うと、その先には「法堂(はっとう)」と呼ぶ本堂があります。

法要の刻が近づいています。

 

2ヵ月以上前に申し込んであった「入祖堂(にっそどう)」という法要が営まれる準備が進んでいます。

永平寺では、僧侶にカメラを向けることが禁じられている上に、法要の様子などを撮影することはご法度となっております。

残念ですが、この日のメインである法要の様子は 拙い文章のみでお伝えします。

 

 法要名と施主の名が記された大間(だいま)という入り口から奥の須弥檀(しゅみだん=ご本尊の祀られた高い台座)を眺めると、亡夫の位牌が置かれた中央で、数名の雲水が 念入りに角度、方向などの最終調整に余念がない様子。

私語を交わすことなく、黙々と目と手に神経を行き届かせ、細部に渡って確認を進めるのも これ修行なのでしょう。

一つ一つの動作に心がこめられているのが解ります。

 

 我々施主が じっと待っていると、初老の僧が前に座り、穏やかな口調で これからの法要の意味を説明して下さいました。

永平寺の最も大切な場所で故人のためだけに執り行われる法要は、命を終えた後に住まう場所に居を移すための厳粛な儀式なのです。

 

いよいよ時至りて、そのときが訪れました。

奥の幕の後ろから 黒衣の雲水が しずしずと出てきます。

5名 10名、20名、いや 左右の幕からだけでなく、入り口からも たくさんの雲水が 足早に集結です。

その数ざっと50名はおりましょうか。

法堂大間(だいま)は あっという間に黒の集団で満たされました。

乱れることなく整列した黒の集団は、作法に則り、全員が 胸の上で両手を組んで 法要の開始を待ちます。

やがて、鉦(かね)の合図で、おもむろに導師が入堂してきました。

そうして、お寺時代に毎日聞いていたお経が始まります。

これだけの数の雲水が一斉に唱える経は 読経ではなく、「調べ」となって この聖域を清めるように流れます。

グレゴリオ聖歌や声明という類とも違い、禅宗独特の音色が 厳かな空気を醸していきます。

抑揚はありませんが、男声合唱にも似たこの「調べ」が 私は好きです。

数名の雲水が 音も無く横に並び 畳を流れるように進み、居並んだ雲水に 手際よく経文を渡します。

その足の運びは 歩く、曲がるという所作一つも 全て計算されていて、無駄なく、切れるようです。

 やがて、一人の雲水が 経文を載せた台を両手に捧げ持って現れます。

胸の前に大切な宝を守るように、上体を伸ばしたまま進む足さばきの見事なこと。

これは もう法要の一場面というより 様式美を鑑賞するための「ショー」かと錯覚してしまいます。

歩くのではなく、移動するのではなく、舞うというほうがふさわしい動きです。

幾度となく練習を重ねているのでしょう。

ほこりの立たない所作というか、やぼったいところや 手間取る場面は全くありません。

食事作法においても 永平寺では 全て作法に則っての 流れるような動きがあります。

不謹慎ですが、これは芸術ともいえます。

 

 先ほどの彼は 大きな経本を、背筋を伸ばした中腰の姿勢で導師に渡すと、その体勢を微動だにすることなく、導師が中央に向かって引導を渡し終えるまで、そのままの姿勢を保っています。

ここは 寺の本堂ではなく能舞台かと錯覚する不思議な緊張感が 澄んだ空気を さらにピーンとさせます。

その独特の世界観を 僧俗が共用するという滅多にない体験をさせてもらいました。

黒衣の集団は 一挙手一投足に何ひとつの無駄もなく、わずかの乱れも見せることなく 法要は進んでいきます。

亡夫の名が呼ばれると、須弥壇の上の蝋燭の炎が それに応えて揺らいだように見えました。

 縁あって修行に励み、本山の運営を担う職を務めた歳月の中で、夫は 懸命に ここでの営みを 人生そのものとして全うしていたと思います。

葬式はしなくていいから 道元禅師のそばに置いて欲しいという遺言を叶えることができた瞬間でした。

セレモニーが終わり、黒衣の集団が 衣ずれの音をさせ次々と退いていった後は、奥行きのある凛とした香が漂う空間が広がります。

誰も居なくなったお堂で、我々は たった今味わった貴重なる経験としての入祖堂というセレモニーの余韻を反芻していました。

 

 

法要中は、一般参拝者が入ることはできません。

法堂の中は Hさんが「めちゃめちゃ寒いです。」と予告していた通り、しんしんと冷えていました。

暖房などは一切ありませんから 懐炉必携です。

 

「入祖堂」法要を終えた亡夫の位牌は、永遠に こちらのい「承陽殿」というお堂に祀られます。

このお堂は 御開山(ごかいさん)と呼ばれる道元禅師はじめ、祖師方が祀られており、それに従うようにして、有縁僧侶の位牌が並んでいます。

亡夫も この末席に並ぶのかと思うと 感無量。

 

 

永平寺は 長い回廊で建物がつながっていますが、傾斜地のため、回廊の多くは階段になっています。

早朝3時に起床する担当雲水が 手に持った鉦(かね)を、起床合図として高々と振り鳴らしながら この階段を駆け上っていく姿は名物にもなっていて有名ですね。

お掃除も行き届いており、どこを見ても 触っても ピッカピカです。

つるつるで 本当に気持ちの良い回廊もまた 永平寺の名物ともいえます。

 

夫は、縁ある場所、永平寺に ようやく帰り着くことができました。

この須弥壇を名残惜しく眺めていると、雲水が、三宝に遺骨を乗せて 恭しげに幕の裏に運び去るのが見えました。

望んでいたこの地に眠る日を迎えることができたのです。

 

庫院という建物は 一般のお寺でいう「庫裏」に当たります。

この建物の一角に、亡夫の執務室があり、私も訪ねたことがありました。

ヨシズのようなものが敷き詰められた廊下を お茶の接待を受けるために歩いた場面がよみがえりました。

娑婆世界から離れた静寂な環境は、身も心も清められるような心地がします。

 

 

紅葉の進み方にも 高低で差があるため、真っ盛りのところと 既に退色したところがあります。

暗い建物と、外の光に 世界を分かたれているようで 和合しているようで 目に優しい色が 足を止めます。

法堂の前に、わずか3枚ばかり枝に残っている葉っぱをHさんが指さします。

「この葉っぱが散る寸前に来れましたね。」

まるで O ヘンリーの「最後の一葉」のシーンを見るようです。

亡夫が いざなってくれたような 目に優しい光景に あらためて「ありがと」と小さくつぶやく私。

 

 

目的を果たして いよいよ帰路に向かいます。

この受処には かつて 亡夫が座っていた時代もありました。

当時と違って、今はパソコンを使っての事務処理が行われています。

時代は どんどん移ろっているのですね。

時を経て 鎌倉時代とは大いに進化を遂げているのも当たり前ですね。

 

年に一度は参拝に来たい場所 永平寺。

殊に、亡夫を送った後は、その位牌を安置してある承陽殿に面会に行くのが楽しみです。

 

 

永平寺のすぐ門前に見つけた派出所。

レトロ感満載です。

きっと 笑顔の優しいお巡りさんが居るのでしょう。

 

妻として 亡き夫の最終地である地に「おくりびと」を果たすことができて ホッと安堵しての帰り道です。

いろんなことを 決して学術的感覚ではなく、誰にでも解る話し方で教えてくれた大切な師匠であり 恩人だった夫。

私を支え、守り、慈しんで 終生を貫いてくれた夫。

その歳月は長くはなかったですが、実に幸福でした。

この夫と出会えた幸運に感謝し、これからも 応援に応える生き方をしなくてはと思っております。

「方丈(ほうじょう)さん、ありがとう」

※ 方丈とは 禅寺の住職の呼称

一日に何度 この言葉が口から出ることか。

そう言わずにおれない瞬間が 何度もあるのは やはり いつも 見えない姿で 寄り添ってくれているからでしょうか。

亡くしてから さらに恋しさが増す 今尚私の尊い伴侶です。

車窓に見える夕日は まさに彼の好んだ風景で、彼も「ありがとう」と言ってくれているように思えた風景でした。

 

行きに休憩で寄った南条サービスエリアで食べ損ねたソフトクリームを、帰りの下り店で求めたところ、こちらには販売していませんでした。

やっぱり、欲しいと思ったものは その場で買わなくてはいけませんね。

やむなく、別のソフトクリームを買い、一心不乱に舐めました。

ソフトクリーム好きな私が むさぼるように 冬でも それを舐める姿を眺める夫の眼差しを思い出します。

「そんな冷たいもの 腹こわさないの?」

やんちゃで 食い意地はって、わがままな嫁を 攻めることも 呆れることもなく、舐め終わるのを待っててくれたっけ。

こうして 「おくりびと」の旅は 無事に終わりました。

 

長いブログを書いて、いよいよ終わろうとする今になって 郵便やさんが届けてくれたものがありました。

なんと 永平寺からです。

開けてみたら 証書のようなものが入っておりました。

ちゃんと 承陽殿にお祀りしましたという証明書でしょうか。

 

ダンボールには なにやら いろんなものが詰め込まれています。

ひとまず亡夫にお供えして、明日開けてみます。

|店主のつぶやき|10:21| - | 2018.11.26 Monday |