彼方へ

 20日 午前4時42分、我が家の愛猫ヨシオが命を終えました。

19才でした。

 15年前に、友人のAさんから、 当時、私が居たお寺の倉庫に保管してある塔婆をかじるネズミの侵入を防ぐために譲ってもらった子でした。Aさんのご家族が赤ちゃん時代に救護されたのを飼っていたのですが、とても良い子だと勧めてくれたのです。

ありがたいことに、自己顕示欲を出すことなく、大人しい子であっただけでなく、病気知らずで、医療費がかからない子でした。

ただ、ここ1年前より、便秘癖がついてしまい、一時期は週一で浣腸に通うこともありました。

時間と手間のかかる摘便作業も 面倒な顔をされることなく丁寧に、慎重に処置して下さった獣医さんにも 大変お世話になったものです。

それ以外は 老衰による体重減少や運動能力の低下などこそありましたが、とても元気で、家族を笑わせてくれる元気の素として、重宝する愛猫でした。

 ところが、19日より 急に食餌を摂らなくなり、表情にも動きにも精彩を欠き、明らかに昨日までとは違った様子に不吉な予感を覚えました。

まさか、まさか、この元気なヨシオが死ぬなんてことがあるだろうか、などと本気で思うほど 前日までは 旺盛な食欲に嬉しい苦笑いの日々だったのです。

 別れは突然きました。

19日の夜から、神棚の下、ソファの影に身を隠すかのように 我々に背を向けて座り込んだまま身動きしなくなりました。

猫は 死ぬ前に身を隠すと聞いたことがあるので、あえて、本来のベッドに連れ戻すことなく、好きなようにさせることにしました。

そのまま、時が過ぎ、いつの間にか四肢を横たえて 既に死んだように崩れていたヨシオでしたが、深夜に呼吸が変になり、いよいよ臨終の時かと身構えました。

下顎呼吸といわれる末期の息遣いを数回してから軽い痙攣を起こし、そのまま動かなくなったので 時計を見ると1時45分でした。

「ヨシオ、ありがとう。」と涙で声をかけて ついに来た最期の姿に手を合わせるも、腹が波打って呼吸が続いていることに気づきました。

おや、まだ死んではいなかったかと、さらに、心停止までを見守りました。

脳死というのか、意識はないように見えました。

以前看取った愛犬のときは、同じような痙攣の後、呼吸が停まってから5分後に鼓動が停まったのを確認していたので、同じような

流れかと思っていましたが、ヨシオの場合は、呼吸が1分おきとなり、微弱になり、口を大きく開けて声帯からの音が5回ほど出て、最後の痙攣の後、腹が動かなくなりました。

今度こそ 逝ったのか、と時計を見ると夜明け前の4時42分でした。

今、亡くなったと思えた瞬間から 完全なる死まで なんと3時間かかっての臨終劇でした。

 

ヨシオに関わってくれた友人たちが届けてくれた花々に囲まれた段ボールの棺に納まったヨシオです。

花の色と香りに囲まれて 静かな永遠の眠りに就きました。

※ 段ボールは 手元にあるもので、白い布を敷いたものです。

痩せてしまったヨシオですが、箱に収めてみると、意外にも面積があり、そういえば若い頃は大型だったことを思い出します。

 

居間で、いつも私の座るソファに飛び乗ってきて、そばで過ごすのが日課でした。

台所に移動する私より先に小走りして、ご飯をもらう瞬間を待ち望むのが常でした。

畳の上を小走りする愛らしくも元気な音「トコトコ」が 今も耳から離れません。

ヨシオが元気なことを教えてくれる足音でした。

 

台所か居間のどちらかがお気に入りの場所。

疲れて眠たくなると、お決まりのソファの定位置に飛び乗って 気持ちよさそうに寝ていました。

 

最晩年、7月になって鼻水とくしゃみの症状が出ました。

それも 抗生剤と 私の酔心するサプリメント類によって乗り越えました。

彼は、薬もサプリメントも嫌がることなくがつがつと消化してくれ、食生活の苦労はありませんでした。

晩年は、馬肉、エゾ鹿のミンチ、豆腐、小松菜のスムージーがお気に入りで、一日2食だったのが 旺盛な食欲を満たすために3食になっていましたっけ。

調子がガクンと悪くなった19日の前日、18日までは こういう元気そのものの生活で、20才は楽勝かと信じていました。

 数字的に長ければいいというわけではありませんが、猫の20才越えは さほど珍しい長寿でもないので、ヨシオだって きっとそうだと思っていたのですが、与えられた寿命は それぞれに違うのでしょう。

ただ一つ 自慢なのは、ありがたいことに、ヨシオの生活の質は 終生 上々だったということです。

最晩年の便秘処置こそ経験したものの、病気治療で心配させることなく、最後まで元気に暮らせたことは 飼い主として大満足です。

 帰宅すると ニャー!!と元気に出迎えてくれたヨシオ。

 名を呼ぶと 振り返って 元気に応えてくれたヨシオ。

 台所に立つと、見上げて 立ち上がって、大声で催促していたヨシオ。

 私の足元にからんできて 行く手を遮り アイスクリームをすくうスプーンを手で妨害し、笑わせてくれたヨシオ。

そんなヨシオも、今は我が家から、そして地上から去って、手の届かない遥かな世界に行ってしまいました。

あの愛おしい姿も声は幻だったのか、我々家族に優しくて心地よい空気を運んでくれたヨシオは ナニモノだったのか。

思い返せば返すほど 惜しい存在でした。

共に暮らした歳月の長さと、我が家の歴史を共に歩んだ同志としての一体感が、予想以上の喪失感と虚無感をもたらしました。

しかし、最後まで元気で癒し係の任務を全うしてくれたヨシオに感謝し、未練を断ち切って、明日から 彼が安心してくれる生活を続けていかなくてはと自分に言い聞かせております。

一昨年に夫を、昨年には母を、そして 今回は愛猫という 最愛の心の支えを次々と失くし、荒れ狂う無常の嵐の中で 向かうべき方向を探す私を、遠い彼方から ヨシオは あのけなげな光をたたえた目で 見ていてくれるのでしょうか。

※ 上の写真は一か月近く前の撮影です。

  まだまだ余韻が残っていて、彼の居ない時空に慣れるまでに少し日数がかかりそうです。

 

 

 

 

 

 

|店主のつぶやき|17:20| - | 2019.08.21 Wednesday |