台所でガダルカナルを想う

 

 今日 朝食に使った玉ねぎを切ったまな板を洗おうとしたところ、蛇口の水で流れ落ちるスライス玉ねぎの一かけらが目に入りました。

透明なもので気づかず、うっかり まな板に張り付いたままだったようです。

パンに、ゆで卵、青じそと一緒に生のまま挟んで食べるため、紙のように薄〜〜く切ってあります。

まだ残っていたのかと思ってる間にも それは、水に流されて シンクの流し口に滑り落ちていきました。

そのときです。

ふと、先日 NHKの「歴史秘話ヒストリア」で見たガダルカナルの悪夢の史実が頭をよぎったのでした。

ソロモン諸島のガダルカナル島は 歴史に残る太平洋戦争時の激戦地として知られています。

補給路を断たれた兵隊さんたちは、ただただ、島内のジャングルをさまよい、骨と皮だけになり、朽ち果てるように餓死していく者が後を絶たなかったと言います。

 子供の頃、父親が愛読していた戦事雑誌「丸」というのが いつも目に入っていましたが、当時は戦争などに爪の先ほどの興味も無く、ページをめくると、暗い戦闘風景や 死屍累々の惨憺たる光景が嫌で、そういう雑誌が部屋にあること自体が不愉快でなりませんでした。

父が黙々と 一心不乱に戦艦大和などのプラモデルを組み立てる姿は、日曜日の定番でしたが、手伝うどころか、もっときれいなもの、楽しいものを作ればいいのにと思っていたものでした。

 ところが、大人になって、最後に亡夫と見に行った映画が まさかの「硫黄島からの手紙」でした。渡辺謙主演で、戦闘シーンがすごい迫力でしたが、無念の死を遂げた若人の葛藤など、あまりの深い印象に、亡夫と 硫黄島に慰霊の旅参加を計画したくらいでした。

家庭で飼われている犬が 吠えるとの理由で、憲兵に射殺されるシーンは音のみで表現されていましたが、当時は こうだったのかと 愛犬家の一人としては いたたまれず憤慨と悲嘆を覚えました。

当時は 動物愛護精神どころか、それを口にするだけでも非国民として、憲兵に引っ張っていかれたのでしょう。

 

 さて、なぜ、台所で 薄い玉ねぎの一かけらからガダルカナルかと言いますと、その地は、「ガ島」と略されていたそうですが、「餓死」の餓を当てて「餓島」と記されていたそうです。

ヘビや草を食べて どうにか食いつないでいた兵隊さんたちも 次々と力尽き、当地における戦死者のうち15,000名は餓死だったそうです。マラリアなどで弱った者は足手まといとの理由から 非情にも「処置」され、とにかく過酷なジャングルをさまよったといいますから、まさに常軌を逸した生き地獄だったでしょう。

 硫黄島での激戦も、銃後の守りを担った本土の空襲犠牲者、広島、長崎、沖縄の悲惨な戦没者の話など 先の大戦における悲劇は枚挙にいとまがないのですが、ガダルカナル島の悲劇も、筆舌に尽くしがたい地獄絵図の一つです。

 この時季になると、戦争が取り上げられますが、決して 昔話で終わらせてはいけないと思います。

子供の頃は、戦争に関わる話題を避け、それを回顧する父に同調する気など毛頭なく、全くの無関心を貫いていました。

しかし、人生をふりかえる機会の増えた今、辛すぎる過去の事実の上になりたつ今日を愛おしく思わずにいられません。

愛犬、愛猫と暮らせる幸せを このまま全うするためにも、平和の尊さを 全力で、一人一人が強い意志で守っていかねばと思うのです。

たかが薄い玉ねぎの一ひらですが、「餓島」の兵隊さんたちなら、群がってむさぼるに違いありません。

舌に載せるなり吞みこめるようなものであろうと、彼らには この上ない幻のご馳走だったことでしょう。

ふと、台所の流し台で手をとめたあの瞬間、ガダルカナルに朽ちた兵隊さんたちの姿が思い浮かんだということは、今の幸せと、食の大切さを あらためて考えよという天の声ではないかと思っています。

戦争は 激戦地の兵隊さん、銃後の一般国民、戦没者だけが被害者ではありません。

動物園の動物、飼われていた犬猫、家畜、人々、幼子、老人、みんなみんな 悲劇の主人公だったのです。

そのことを想い、今日の幸せを今一度嚙みしめ、感謝の手を合わせる日にしたいと思います。

応仁の乱を語れる人が居なくなったように、年々遠のいていく太平洋戦争の記憶も薄れていくことのないよう、戦後生まれとは言え、地上の地獄が再び繰り返されないよう しっかりと、一人一人のできる形で、平和を守っていこうではありませんか。

 シンクに落ちた一片の玉ねぎを、指先ですくい、蛇口の水で洗うと、ガダルカナルの兵隊さんを想い、そっと口に葬りました。

 

 

|店主のつぶやき|21:42| - | 2020.08.14 Friday |